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2006年11月22日

〈新潟県の拉致現場視察〉

衆議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会(拉致問題特別委員会)の委員派遣で、新潟に出張し、横田めぐみさんの拉致現場の視察、曽我ひとみさんとの面会、新潟県・新潟県警・関係市長・救う会新潟の皆様との意見交換などを行い、18時に東京駅に戻ってきました。

9時に東京駅に集合。小島拉致問題特別委員会委員長を筆頭に与野党14人の委員が参加。11時に新潟駅に降り立って早速バスに乗り込み、万景峰号が入港していた新潟西港を視察。その後、横田めぐみさん拉致の現場を歩いて視察しました。

横田めぐみさんが通っていた寄居中学校の校門でバスを降り、横田めぐみさんのご自宅があった付近まで数百メートルを歩きました。当日、めぐみさんは学校のバトミントンクラブの活動を終えて、友人二人と下校。途中、友人二人とそれぞれ別れ、最後に一人になったのが、自宅からわずか200メートルぐらいのところ。
3人が下校をした学校からの一本道の通学路は、周りに住宅はあるものの、夜になると薄暗い道。当時は今のように車の通行もなく、夕方はかなり寂しい通りだったと思われます。一人になっためぐみさんは、突然、北朝鮮の工作員に取り囲まれ、車にでも押し込まれたのでしょう。拉致現場から海岸までは数百メートル。一気に海岸に連れていかれ、工作船で北朝鮮まで拉致されたものと思われます。
北朝鮮の工作員に取り囲まれたときの恐怖、薄暗い船の中での恐怖、13歳の少女を襲った突然の悲劇を思うと自然と涙が溢れてくる。あれから30年・・・。

その後、新潟県庁に移動し、曽我ひとみさんのお話しを伺うことができました。曽我さんはお元気な様子でしたが、そのお言葉は長い長い苦しみの経験から搾り出される切々とした思いに溢れていました。

「一日一時間が大切。少しずつ落ち着きを取り戻しているが、むこうにいる時のこと、母のことを考えると、涙が止まらないことがある。むこうにいるときは、何時になったら誰かがきて助けてくれるのだろうかと思っていた。日本からの代表団がくるたびに、ああ来たんだと思い、一日二日すると帰っていってしまう。その様子を見ていて、日本では私が拉致されたことを知らないのだろうか、何時になったら呼んでくれるのだろうと思っていました」

1978年に拉致されて2002年に帰国するまで、24年にわたり祖国のことを思い、祖国の助けを信じ、幾度となく裏切られてきた曽我ひとみさんの胸のうちを思うと、安穏と日本で過ごしてきた自分が恥ずかしくなる気持。

現在、拉致被害者として認定されている方々は16人、この方々以外に、拉致被害者としての認定を待ち望む特定失踪者の皆様が多数いらっしゃる。何としてもこの方々を祖国に取り戻したい、取り戻さなければならない。幸は安倍政権は、安倍総理、塩崎官房長官、中山恭子総理補佐官の3人の体制で拉致問題に全力で取り組む姿勢を鮮明にしている。私も、衆議院の拉致問題委員会の委員として、できる限りの活動をしていく、その決意を新たにした一日でした。

投稿者 kiharaseiji : 2006年11月22日 10:33

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