Go Top

元外務副大臣 自民党 東京都第20選挙区支部長・衆議院議員 木原誠二 公式ホームページ

幼少・学生時代

外国を感じる(1970年~1978年)

サラリーマンの父の仕事の関係で、9ヶ月~5歳のときにシカゴ、8歳のときにアムステルダムで生活をしました。

まだまだ、海外に住む日本人が少なく、アムステルダムの日本人学校3年生は僅か5人の時代です。
子供ながらに、世界の奥深さ、楽しさ、そして怖さも感じていたように思います。

そして、アムステルデムでの最大の楽しみは、各地の教会巡り。一番好きな教会は、ミラノの大聖堂。大人になってからも教会巡りは続けており、日経新聞夕刊の私の趣味欄でも紹介してもらいました。

そんな私が選んだ職業は、大蔵省、政治家でした。

野球、ドッジボールに燃える(1978年~1982年)

日本に戻ってからは、野球に燃えました。
プロ野球のピッチャーのフォームを真似ることに熱中していました。巨人の角投手や江川投手が当時のお気に入り。
人を真似るのが上達の極意であることを学びました。
野球のお陰でドッジボールも得意でしたし、ガキ大将として楽しい小学校生活を過ごしました。
今でも、バッティングセンターで、130キロぐらいは打てますし、90キロ程度のボールも投げられます。

自由を謳歌した中学・高校時代(1983年~1988年)

1983年に入学した武蔵中学校・高校は、校則も制服もない、「自ら考え自ら学ぶ」がモットーである自由な校風の学校です。

この武蔵中学・高校で、テニスとピアノに熱中していました。
あまりに自由すぎて、時として自由を履き違え、羽目を外すこともありましたが、6年間を通じて、自由であることの難しさと厳しさを学んだときでした。

テニスに燃えた大学生時代(1989年~1993年)

1989年に入学した東京大学法学部。

法学部に入ったというよりも、中高と続けてきたテニスにさらに没頭する大学生活となりました。何しろ、渋谷のセンター街も膝や裾に穴のあいたテニスウェアで歩いていました。
朝7時~8時半の練習、午後3時~6時までの午後の練習、そして昼の自由練習。練習の合間は、京都ラーメンの名店、天下一品を食べる生活でした。
そして、キャプテンとして仲間をひっぱる経験も。お陰様で、関東団体戦準優勝、全国選抜ダブルストーナメントで3位になることもできました。

大学生活で学んだことは、練習は嘘をつかない、人を引張るには率先して自分が動くしかない、という二つのことでした。
大学時代に汗をともに流した仲間が今も最高の宝物です。

こちらもぜひご覧ください ~基本政策 私の信念~

この5つの点について関心を高く持たれている方が多いのではないでしょうか。
個別の論点について詳しく述べさせていただきます。