自由民主党・衆議院議員
木原誠二

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ブログ

2010.12.28

かかりつけ医、家庭医の導入を

相変わらず政治は、というか民主党は、つまらん政局を続けています。さっさと証人喚問を議決するか、離党勧告⇒除名に踏み切るべきです、民主党執行部が本気なら・・・。

ま、それはそれとして、昨日のブログで来年度予算の評価について書いたところ、何人かの方から、社会保障分野の改革でどんなことが具体的に考えられるのか、という質問を受けました。機会をあらためてじっくり社会保障分野の改革についての全体像を書きたいと思いますが、今日は医療について一点だけ。

それは、「主治医、かかりつけ医」制度の導入です。

医療制度で大事なこととして、アクセス(access)、コスト(cost)、クオリティー(Quality)の三つが言われることがあります。この三つの中で、日本の医療の大きな特徴は、医療のアクセスが極めてよい、開かれているということです。

つまり、国民の誰もが、いつでも、自由に、慶応病院であれ東大病院であれ昭和病院であれ、そしてもちろん街の開業の医院であれ、思いのままに自由に選んで、しかも同じ自己負担で診療を受けられるわけです。



しかし、日本のようにアクセスが完全に開かれている例は世界的には稀です。多くの国でも、もちろん医療は公的に支えられていますが、公的医療へのアクセス、最初の入り口は自らの主治医に限定されるなど、制限がかけられています。それ以外のアクセスポイントを選べば、そこは公的には保障されず、自分でコストを負担するという形が取られています。


例えば、私自身も生活したイギリスでは、「居住する場所に近い「かかりつけ医」(GPと言います)を選び、登録」することが求められています。そのかかりつけ医を通じてでないとNHSNational Health Service、国民健康保険)のサービスにアクセスできないし、GPの紹介がないと大病院の診察は受けられません。

多くの国で、程度の差あるいは縛りの厳しさはあれ、医療へのアクセスは先ず主治医。主治医が常日頃から患者を見ていて、何か手に負えない重大なことがあったときには、その主治医が紹介して病院や専門医に行くという仕組みが取られています。このために、ちょっと喉がガラガラする、お腹が痛い、といったことで大きな病院に行くようなことはできないということです。もちろん、救急医療は違います。



ところが、日本では、どんな大病院であっても、誰でも、いつでも、どんな理由でも、自由に使っていいとなっています。そのくせ、「3時間待ちの3分間診療」などと揶揄され、もっと困ることは、本当に大切な救急の患者などが診療を受けられない、大病院の勤務医が過重労働で疲弊するといった事態が生じています。しかも、街の開業医院でも大病院でも、診療代は変わらない。


公的医療の役割は何でしょうか。国民誰でも平等に必要な医療を受けられるセーフティーネットの役割です。そのときに、風邪や小さな怪我で大病院を利用できることが、公的医療が担うべき必要な医療、セーフティーネットかというと、恐らくそうではありません。


公的医療へのアクセスは、36524時間、全国民に等しく保障されなければなりませんが、そのアクセスをする場所は、ある程度制限をしても許されるのではないでしょうか。



結果的に、大学病院や専門医院などから、日常的かつ般的な健康を診るようなものを切り分けていくと、医療資源のより適正な配分ができるはずです。

既に、我が国でも、家庭医普及への動きがあります。2010年度の診療報酬改定では、夜間や休日など時間外に対応できる開業医に報酬を上乗せする仕組みを盛り込んでいますが、これを更に進めていってはどうでしょうか。