自民党・内閣官房副長官
木原誠二

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ブログ

2014.12.01

集団的自衛権の一部容認について

ここ数日地元で有権者の方とじっくりお話する機会に恵まれていますが、経済とともに集団的自衛権についても、多くご質問をいただいているので、少し考えをまとめておきたいと思います。

 

先ず、集団的自衛権は、国連憲章51条において、全ての国に認められている権利であることを確認したいと思います。集団的自衛権が認められているのは何故かと考えると、もしこの世の中が、個別自衛権しか認められていなければ、世界は完全な「弱肉強食」の世界になってしまうからではないでしょうか。自分のことは自分で全て解決しろということになると、それは、当然、米国や中国やロシアなど、強い国が勝つに決まっているからです。

そういう弱肉強食の世界にならないよう、集団的自衛権が認められているのです。

その意味で、集団的自衛権は、世界の平和と安定を維持するために必要なものであり、国際的には常識といえます。

 

にもかかわらず、日本は、これまで、この集団的自衛権について、「保有するけれども、憲法上行使できない」としてきました。

 

では、何故、日本は、この弱肉強食の世界の中で、集団的自衛権も行使できないにもかかわらず、戦争に巻き込まれず、平和にやってこれたのか。一部の人は、「憲法9条があったから」と答えるかもしれません。しかし、私は、こうした議論は、「喧嘩をしない」ことと「喧嘩をふっかけられない」ことの根本的な違いを理解していない議論だと思います。憲法9条は、喧嘩をしないことを宣言しているだけで、「喧嘩をふっかけられない」、「喧嘩に巻き込まれない」ことを担保するものではありません。

 

あらためて、では、何故、日本は喧嘩をふっかえられなかったのか?

それは、これまでの日本には2つの特殊な要因があったからです。第一に、戦後、紛争のホットスポットは、冷戦時代は東西ドイツ国境や中南米であり、冷戦後は中東であって、日本が属するアジアは紛争のホットスポットではなかったということです。第二に、日本が同盟関係にある米国が圧倒的な大国であったということ。

もう少しわかりやすく言うと、日本は、ほとんど争いごとのない田舎の静かな町で、世界一強いボディーガードを連れて歩いているようなもので、誰も襲う人もいないし、そんな強いボディーガードが横にいたら襲おうと思う人もいなかったということです。

 

ところが、この二つの要因は、近年、ともに変化してしまいました。今や、アジアは世界で最も緊張感が高まっているところであり、中国の台頭もあり米国は圧倒的な大国ではなくなってきています。

言ってみれば、日本は、池袋や新宿のような危険もあふれる町を力の衰えつつある、けがをしているボディーガードと歩き始めた状況です。

 

この危険な状況に対処するために、今回、我々は集団的自衛権を認めることにしたといえます。ただ、その集団的自衛権は、国連で認められているフル装備の集団的自衛権ではなく「限定的」な集団的自衛権です。本来、集団的自衛権とは、自らに危険が及ぼうが及ばなかろうが、自らと密接な関係がある他国が攻撃されたら、自らが攻撃されたとみなして反撃する権利です。

しかし、今回、我が国が認める集団的自衛権は、他国への攻撃が「我が国の存立を全うし、国民を守るため」すなわち「我が国を防衛するためにやむを得ない場合」にのみ、行使を認めるものであり、憲法9条が求める専守防衛、平和主義の範囲内のものです。

この憲法9条が定める専守防衛の範囲内で集団的自衛権を一部認めるというのは、敗戦国日本としての誇り、矜持を示すものともいえます。

したがって、一部に言われているような、米国とともに日本も世界中に出かけていくようなことは決して起こりません。

 

しかも、付け加えておきたいのは、集団的自衛権の行使は、閣議決定のみでできるものではなく、今後、20本もの法律を国会で改正しなければならないということです。

 

そして、もう一点、集団的自衛権をめぐる議論の中で、個別的自衛権を拡大していけばいいじゃないかという議論を聞きますが、これは、冒頭紹介したように、弱肉強食への道です。実際、ロシアは、クリミアを併合したり、ウクライナ東部で行っている行動を個別自衛権の範囲内のものだと強弁していますし、同様に、あるいは中国も、南シナ海でとっている行動を、全て個別自衛権の行使であるとしています。個別的自衛権の拡大論は、こうした中国やロシアの行動にお墨付きを与えるようなものです。

 

いずれにしても、限定的な集団的自衛権は行使を認めますが、その前提として、紛争回避の外交的努力に全力を挙げるのは当然のことであり、だからこそ、安倍総理は、50か国もの国々を僅か2年で訪問してきたわけです。

 

こうした議論も、ぜひ、選挙戦を通じて行っていきたいと思います。