2008.09.28
午前中、東村山中央公園で行われた北多摩地区消防大会に出席。この大会は北多摩地区17市で組織されている消防大会として各市で会場を持ち回り、今年は18年ぶりに東村山市で開催されました。そして、今回は第50回の記念大会。各消防団の連絡・協調や団員の皆様の消防技術の向上を目的として開催されています。 地元選出国会議員として、代表してご挨拶させていただきましたが、今年も自然災害が多発しており、消防団の横の連…
2008.09.11
出馬する5人の候補が出揃い、いよいよ総裁選がスタートしました。本日は午後2時から候補者所見発表演説会、4時からは渋谷駅ハチ公前にて街頭演説会が開催されました。私も渋谷へ出かけましたが、道行く多くの方々が足を止めてくださり、候補者の演説を聞いていただきました。ありがとうございました。 他方で、「またやってるよ」というお声も聞きました。そう、「また」なんです。我々は、浮かれることなく、「また」総裁選を…
2008.09.04
今晩、全国中学高校ストリートダンス選手権において、都立武蔵村山高校の3人組が、友情と思いのこもったダンスを見せてくれました。テレビを見ていて、地元の高校にこんな若者がいるのかと、正直嬉しくなりました。「最近の若いものは・・・」なんて簡単に我々は言ってしまいますが、表現方法こそ違うとはいえ、若い人たちは、仲間や努力や情熱、そういうものを実践しているのだなと・・・。残念ながら決勝には進めませんでしたが…
2008.01.01
経済の現場を体感、そして政治活動継続に感謝、感謝(2009年~2012年) 2009年のいわゆる政権交代選挙で、落選しました。 収入ゼロ状態となり、暮らしもままならない中で政治活動を継続するため、社員20人弱の人材関連の中小企業に就職。 外交営業マンとしてサラリーマン生活の傍ら、平日の朝夕と土日を政治活動に充てる生活に入りました。日々、営業成績をチェックされる民間の仕事の厳しさ、経費削減を徹底する…
そして政治家へ(2005年~2009年) 2005年の総選挙で、初当選を果たしました。当選後は、厚生労働委員会で社会保障改革、内閣委員会で行財政改革に取り組みました。 特に、公務員制度改革については、英国大蔵省での勤務経験を活かし、先導的役割を果たしました。拙著「英国大蔵省から見た日本」(2002年/文春新書)は、当時の公務員制度改革のバイブルともなりました。
大蔵省・財務省時代(1993年~2005年) 「世の中の役に立ちなさい」祖母の思いを実現できる職場の一つとして、大蔵省(当時)を選択。最初に配属された証券局では、バブル崩壊で資金繰りが苦しくなった証券会社の破綻に遭遇。破綻処理に奔走しました。 その後、橋本政権の下で、財政構造改革法の制定に携わりました。必死に、上司とともに、金融機関に資金拠出をお願いして回ったのが昨日のようです。しかし、その財政構…
外国を感じる(1970年~1978年) サラリーマンの父の仕事の関係で、9ヶ月~5歳のときにシカゴ、8歳のときにアムステルダムで生活をしました。 まだまだ、海外に住む日本人が少なく、アムステルダムの日本人学校3年生は僅か5人の時代です。子供ながらに、世界の奥深さ、楽しさ、そして怖さも感じていたように思います。 そして、アムステルデムでの最大の楽しみは、各地の教会巡り。一番好きな教会は、ミラノの大聖…
それは、弘子おばあちゃん。 おばあちゃん子だった私。 祖母は、私にとっては大叔父にあたる二人の弟を戦争で失い、ようやく生まれた跡取りの私を大切に育ててくれました。山梨・身延の地から戦地に赴いた二人の弟の背中を見送った弘子ばあさんの口癖は、『お国の未来を切り開くため、家族を守るため、世界に平和を取り戻すため、誇りと使命感を胸に散った二人の弟の思いを継いで、世の中に役立つ人になりなさい。』多くの尊い犠…
木原誠二について
木原 誠二
衆議院議員・自由民主党 第20区支部長
5つの基本政策
人間中心の持続可能な資本主義の構築 「高齢者」も「若者」も「子ども」もの社会保障改革 地域の暮らしを改善するデジタル化の推進 自然災害や感染症に強い、国民を守れる国づくり 世界を主導するソフトパワー外交